中之島とダイビル

中之島の開発は大阪夏の陣後、大坂屈指の豪商、淀屋常安によって1615年に始まった言われています。

土佐堀川と堂島川の中洲であることに加えて、大阪から遡上する二大航路の安治川と木津川の分岐点でもある中之島には諸藩の蔵屋敷が集中し、全国各地の物資が集まる「天下の台所」大坂の中枢を担っていたそうです。

今回は中之島の東側の田簑橋の辺りを回ってみました。

田簑橋の北詰め交差点近くに蛸の松
があります。

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かつて橋の周辺は各藩の蔵屋敷が建ち並んでいて、南西側にあった広島藩の蔵屋敷の塀際には、蛸の松という姿の良い松の巨木があり、名所になっていたそうで、福島正則がみずから植えたと言われているそうです。

近年、広島藩の蔵屋敷跡の発掘調査が行われ、大規模な舟入の構造などが確認されました。

現在は橋の北詰めに移転され初代の松は明治時代に枯れてしまいその切り株は大阪教育大に保存されているそうです。

その蛸の松の直ぐ近くには雙松岡塾の碑があります。

雙松岡(しょうそうこう)は幕末の文久元年(1861年)に開かれ、尊王攘夷を鼓吹した漢学塾である。この塾を開いたのは江戸・昌平黌の同門、松林飯山・松本奎堂・岡鹿門の3名で、彼らの名を1字ずつとって塾名としたものである。文久2年、尊王倒幕運動家の集合場所という疑いから、大坂町奉行所にも危険視され、わずか半年で閉鎖された。

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「天ハ人ノ上ニ人ヲツクラズ、人ノ下ニ人ヲツクラズ」の言葉で知られる福沢諭吉は、天保5年(1835年)豊前中津藩士福沢百助の兄1人、姉3人の5番目の末子として、同藩大坂蔵屋敷(旧阪大病院跡)のこの地で生ました。

天保7年6月、福沢諭吉は生まれて1歳6か月のとき、父百助を亡くし、母と兄姉4人とともに郷里中津に帰郷し、19歳まで過ごした。大分県中津市ではその家を諭吉ゆかりの地として顕彰し、記念館を併設して現在一般公開しているとか。
 

福沢諭吉は幼年から漢学を学び、英才ぶりを発揮したが、兄の勧めで蘭学を志し安政元年 (1854年)に長崎に遊学した。翌年、帰阪して緒方洪庵の適塾に入門し、塾長をつとめるまでになり、のちに藩の招きで江戸へのぼり、中津藩奥平邸で蘭学塾を開き、子弟の教育にあたるかたわら英学の独習も始めた。その英語の語学力を見込まれて、勝海舟らと共に咸臨丸に乗り込み米国に渡るとともに、欧州6ヶ国を見聞して帰国後は、慶応4年(1868年)慶応義塾を開設した。また「学問ノススメ」を発刊するなど、時代を象徴する思想家として名を残した。その福沢諭吉誕生地を示す碑が、旧大阪大学附属病院跡にあります。

 

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更に堂島川を玉江橋まで歩くとマンションの入り口近くに義経ゆかりの場所がありました。

逆櫓の松跡です。

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大阪市のホームページの説明によると

文治(ぶんじ)元年(1185)正月、源頼朝の命をうけて、平氏討伐のため京都を出発した義経は、屋島に布陣する平氏の急襲するため、当地で準備を進めていた。すでに兄頼朝との間に対立が生じており、その怒りをとくため最前線で決死の覚悟をしていた義経は、頼朝からつけられていた参謀格の梶原景時(かじわらかげとき)が進言する船の前後進自在の逆櫓とりつけをめぐって論争。義経はあくまで前進のみと主張、ゆずらなかった。そして2月17日夜半、暴風雨の中を手兵150ばかりと5隻の船に分乗、18日早朝渡航に成功、翌19日屋島の合戦で大勝した。この論争が当地の老松の下であった伝承からきている。

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中之島 田簑橋界隈には新しいビルやホテルが並んでいます。

なかでも一際目を引く建物はダイビル本社です。
1925年 渡辺節によって建てられた古典主義をベースとした洋式建築の旧ダイビルの面影を残しています。

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かつて旧ダイビルの1階に並んだ彫刻が刻まれている円柱や角柱などは、播磨の竜山石が使われていて全て国産と言われていましたが、再利用されているようです。

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ネオロマネスク様式の旧ダイビルは正面入口の装飾が特に印象的だったようです。半円アーチの上に飾られている少女の像は大国貞蔵作の「鷲と少女の像」、建物の格調を高めていたそうですが、新しくなったダイビルの正面に使われているのは旧ダイビルのものなのでしょうか?
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新しいダイビルは、2010年10月に着工、2013年2月28日に竣工したそうです。

ダイビル本社と呼ばれる前の大阪ビルヂィングと呼ばれた建物を見て見たかったです。

ダイビルの歴史を伝えるサロン1923では当時の貴重な歴史が展示されていました。

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ダイビル本社の一階にはミュンヘンに本店のあるダルマイヤーの朝食はとってもおいしかったです。

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またダイビル隣には四季の丘と言う庭園があり大阪ランドスケープ賞を受けています。
小高い丘からは大阪の科学博物館の幾何学的な建物が望めます。

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ダイビルの隣には中之島ダイビルも建っていてこちらの建築も美しいです。

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中之島界隈には新しいものと歴史のある古いものが上手く混ざっているのだなぁと感じました。

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